リスニング時に気をつけていること

昨日このように書いた。
《リスニングにおいては、理解のスピードが不可欠である。聞いた音の列から、瞬時に意味をとらえなければならない。正確に意味をとるためには、文の構造をつかまなければならないし、時制・モードも認識しなければならない。これらを一瞬にやらなければいけないのである。》
それで私がリスニングするときに(最近特に)気をつけていることは、フレーズの最初の方を聞き落とさないようにすることである。理由はそこが聞き取れて初めて、文の構造がつかめるケースが多いと思うからである。
動詞(およびその周辺)と言ってもいいかもしれない。文の構造、時制・モードの認識に深く関わっているのはこの部分である。そしてこれらが、フレーズの前の方に出てくるのが英語・フランス語(多くの西洋言語)の特徴である。
動詞(およびその周辺)を捉えられなかった場合、後から聞こえてくる音は理解しづらくなるように思える。それは文の構造を逃した状態で、それらの音を聞くことになるからではないか。たとえその部分を理解できたとしても、フレーズの中でのその部分の役割が明確でないので、どうしても言葉の羅列としてしかその部分を認識できない。
リスニングが完全でない場合においては、こうして部分部分を聞き取れないところが出てくるのはしょうがないことである。そもそも知らない単語についてはどうしようもない。
そうではあるのだが、ここで私が言いたいのは、最も避けなくてはいけないのは文の構造を見失ってしまうことではないか、ということである。
そして、英語・フランス語と言葉の語順(文の構造)が異なる日本人は、どうしても西洋言語圏の人に比べてそうなってしまう傾向があるのではないか。
西洋言語圏の人たちが、英語・フランス語のリスニング力に優れているのは、音の聞き取り能力が高いということ以外にも、文の構造がほぼ同じだからそもそもそれを見失いにくいという点も大きいのではないか。たとえ断片的に聞き取れないことがあっても、全体を見失うということがない。その場合には、文脈からの推測もききやすい。
いろいろ書いてきたが、あくまでもこれらを「一瞬に」やらなければいけないということはもう一度確認しておきたい。
動詞(およびその周辺)を待ち受けて、そこだけを逃さずに聞こうとするわけではない。あくまでも流れの中で、文の構造、時制・モードの認識を瞬時に行うのである。そしてその際、フレーズの前の部分が特に大事になってくるように思うのである。

リスニング学習のゴール

リスニング学習のゴールは、「誰の言葉であっても、言っていることをすべて理解できる」だと思うが、これはそんなに簡単なことではない。
リスニングにおいては、理解のスピードが不可欠である。聞いた音の列から、瞬時に意味をとらえなければならない。正確に意味をとるためには、文の構造をつかまなければならないし、時制・モードも認識しなければならない。これらを一瞬にやらなければいけないのである。難しいはずである。
とりあえず「一読して理解できないものは、聞いてもわからない」のである。
この一読とは、「音を聞き取る」という要素を除いてリスニングの状態を再現したものであると言える。聞こえてくる音の速さ以上で、この一読して理解するということができなければ、当然リスニングはできないのである。リーディングにおいても、スピードは大切なキーワードである。
これらのことを考えると、なかなか「言っていることをすべて理解できる」というリスニング学習のゴールに達することは難しいことがわかる。つまりいろいろな本を手に取ってみたとき、それらを一読して理解できるレベルに達していていないものがまだまだ多いからである。
リスニング学習のゴールの前段階として、「一読して理解する行為」においてゴールに達していなければならないのである。
つまり、「なんでもすらすら読めていなければならない」のである。
なんでもすらすら読めるようになるのは、そんなに簡単なことではない。
そのためには、たくさん読まなければならない。質の高い文章も読まなければならない。
時間がかかるのは、当たり前のように思える。

帰国に向けて

帰国の日を10月30日に決め、いよいよ滞在も残り1ヶ月少しとなった。今は、帰国そして帰国後の準備などで忙しくしている。1ヶ月ほどでやれることはもう限られていると思うので、欲張りすぎず本当に大事なことのみきちんとこなして、ここを後にするようにしたいと思っている。

粘り強く続けるしかない?

最近は、英語と仏語半々ぐらいでできているかな。それぞれ、多読/リスニング/瞬間作文を進めている感じです。すぐには成果も出てこないだろうから、しぶとく粘り強くやっていくしかないのかなと思っています。特に多読は時間がかかりそうな気がしています。あまりゆっくりはしていられないのですが、半年先ぐらいを見ながらやった方がよさそうです。

組み合わせる

最近また、リスニングもう少しなんとかならないかなと思い始めている。アウトプット中心の日が何日か続いたが、やっぱりリスニングが弱いのは放置してはいけないだろう。
リスニング力を高めるために、多読とかDVDを見るとかいろいろ手段はあると思うのだが、長く勉強を続けていて思うのは、いろいろ組み合わせてやらなければならないのかなということである。一般にもよく言われることかもしれないが、例えば多読と精読どっちがいいかということではなく、両方大事と考えるべきだろう。あるいはラジオがいいか、テレビや映画など映像のついたものがいいかということではなく、それぞれの利点を捉えながら両方うまく使っていくのがいいのだと思う。
アウトプットにしても、瞬間作文はひとつの有効な方法だと思うが、それだけやっていればいいということはなくて、自分自身で書くとか、他人の書いたものを外国語作文してみるとか、いろいろ組み合わせるのがいいように思う。
なかなか急激な実力アップは難しいのかもしれないが、なんとかもう一段階レベルを上げられるように頑張っていきたい。

リスニングのための多読

アウトプットの方に力を入れすぎて、多読の方がおろそかになっている。これではいかん。
しっかりさせておかないとならないのは、何といってもやっぱりリスニングだと思う。話す方ももちろん大事なのだけれど、なんとかなる確率はこちらの方が高い。相手の言っていることがわからないのは、本当に困るのである。
なのでリスニング力を高める必要があるのだが、そのための多読の重要性を痛感していると言っているわりには、最近あまり本を読めていない。
これではいかん。
もう一度ペースを取り戻さねば。
リスニングと多読は、私の中では読書スピードを介して関連する。前に「速く読みつつ理解しようとする感覚は、リスニングのそれに似ている感じがする」と書いた。速く読めることは、リスニングができるためのひとつの条件であるように思う。速く読めるようにするのはなかなか難しいと思うが、そのひとつの有効なトレーニングとして、多読=「辞書を使わずなるべく速く読む。それをたくさんこなす」があると思うのである。
気持ちをもう一度入れ直していきたい。

「音を聞き取る力」だけは…

久しぶりにリスニングの「音を聞き取る力」のトレーニングをしました。私の場合は、ディクテ、シャドーイングスクリプトリスニング(スクリプトを見ながらリスニング)などを組み合わせながらやっています。
リスニングをなんとかしたいと思い、今まで時間を割いてこの辺のことをやってきました。話す、書くといったアウトプット力、あるいは速読力を含む読む力は、時間をかければ最終的にはかなりいいところまでいくように思っているのですが、この「音を聞き取る力」だけは、時間だけでは解決できない越えがたいものがあるように思います。
もちろんトレーニングをすることでよくはなります。海外に来る前と後では私の「耳」もかなりよくなったと思っています。
しかしこの「耳」の能力開発は、個人のもって生まれた耳の質とか、母国語の影響などで、どうしても限界があるような気がします。
しかしどうしようもないとは思いながらも、実際問題として今のままではリスニングできずにストレスを感じることが多いので、なんとか「音を聞き取る力」を高めようともがいているのです。